シドニー定住
まるでどうしていいのか分らなかったので、まずは車でシドニーを適当に走ってみた。
…街が大きくてどうも頭に入ってこない。ブリスベンくらいの広さなら メインストリートがはっきりしているがシドニーはどこも人が多く 都会すぎて把握しにくいんだろう。
結局、数日車の中で寝起きをして考えた結果、シドニーに住んでみるという結論に至った。
そうすると やる事は決まっている。
ここからはブリスベンで色々な旅行者から聞いた情報が役に立つ。 まずはフットワークの悪くなりそうな車を安全そうな空き地に置いて新聞を買いに行く。 「シェアメイト(同居人)募集」と「求人情報」に目を通す。 正直、残金を考えるとあまり迷っている時間はない。
希望としてはせっかくオーストラリアに来たのだし、 オージー(オーストラリア人)とルームシェアをしたかったが結局ギリシャ移民の男性とのシェアルームで落ち着いた。 ピットストリート(Pitt St.)を起点として西側の街グリーブ(Glebe)に住むことになった。
フラット(アパート)の住所をもらい、時間の約束をしフラットのある場所に行ってみると フラットメイトになるのはパット見60前後のオジサマだった。
…比較的ハードルの高い英語での電話のやりとりができている…。
シドニー大学(The University of Sydney)に隣接するこの辺りはギリシャ系移民の多く住む地域らしく、オジサマは僕にとても親切にしてくれたが、 いままで同世代とシェアしていたので少々気を使って暮らすことになった。
▲グリーブ(Glebe)の僕の部屋。
30本入ピーター・ジャクソン(煙草)が1ドル50セント 。
高くはないから負担も少ないんだけど…。
吸いすぎだろ…。 と自分でも思うが、飯は我慢しても煙草は吸っていた。
ピストルとハンドル
グリーブの街を歩いていて交差点で信号待ちをしていたら、
「ピストルを持って車を運転している男性」
を見かけた。
信号を待っていたら、ほんの5メーター先の車の中で男性がイライラした感じで ピストルを持った手でハンドルを握っている。。。
ほんの一年前まで自衛官だったので自動小銃も射撃訓練で毎年撃っていたし、 武器庫ではピストルも見た事はあるけど…
街中で突如あぶなそーな男がピストルを握りしめているのを発見するっていうのは…
思わず後ずさりしゆっくりと電柱の陰に隠れた。
心臓が飛び出す暇も、慌てふためく暇もなかった。
信号が変わり車が通り過ぎて行ってからやっと腰にきた…
…あぶねーよ。。。この国、拳銃OKだっけ? 今の何! マフィアとかか…
※[後記] ちなみに1996年4月、タスマニア島で乱射事件が発生するまでは自衛のために 拳銃所持はOKだったようで…。この時点では銃は比較的簡単に手に入ったそうです。
シドニーで仕事を探す
次は仕事を探さなければならない。
しかしブリスベンでもオージーのレストランで働いていたのでここもできたらオーストラリア人と働きたいと思っていた。
結局、数週間の間ウダウダしていて本格的に金が尽きるまで ちゃんとした就職活動をしなかった。
思い出したように面接に行ってもやはり付け焼刃の英語では 簡単に採用してくれるところはなく…。
結果、 チャイナタウン(Taltax Chinatown, Haymarket) で最後の1ドル50セントで買ったサツマイモ1袋で10日ほど生き延びたが家賃もあるので限界。
…結局、日本人から距離を置きたかったのでもっとも避けていた「ジャパレス」に面接に行くしかなかった。
キングスクロスにあったじゃパレスの面接では、
「高輪プリンスホテル系のシェフの元で一年ほど働きました。 ホテルとレストランを掛け持ちし、 サラダ場、ブッチャー、フライ場、ストーブまで洋食なら一式経験あります。 VIPプレートも飾り包丁も多少できます。 メインはフレンチです。」
と、目一杯売込みなんとか雇ってもらうことに成功。
まかない(食事の提供)があるので一応食うには困らない。
だが一文無しということは給料が入るまでグリーブからキングスクロス(Kings Cross)まで 痩せ細った体で高低差のある約4kmの距離を毎日歩いて往復しなくてはならないんだけど…ね。
マンリー ビーチ
シドニーの北東に位置するマンリービーチ(Manly Beach, Sydney.)。
ボンダイビーチと並び有名なビーチリゾートでお洒落なカフェやレストランがありサーフィンのメッカでもある。
人に言われこの女性に会いにマンリーに行ったんだけど…。
…誰だっけ??
…まあ、そんな出会いもあるさ…(汗)。
グリーブ(シドニー・オーストラリア)