シドニー・ジャパレス
▲1986/07/29、キングス・クロス(Kings Cross)近く、夜のウィリアム・ストリート(William.st)。 ダーリンハースト・ロード(Darlinghurst rd.)の橋からの景色。
早速ジャパレスのメンズと深夜徘徊。
▲シドニーのジャパレスの仲間達はオーストラリアにサーフィンをしにきていた。 僕はサーフィンについてはほとんど知識がなかったが彼らから
「サーファーはプロでも世界大会の賞金が100万円とかでそれだけで喰っていける人はほとんどいない。」
とか
「ショップ出してやっていくんだよ。」
とかいろいろ教えてもらった。
「スヌーカー」というイギリス人が好むビリヤードのゲームを教えてもらった。
オーストラリアは元々イギリス連邦の国なので「スヌーカー」の置いてある店が多かった。
日本で一般的な「ナインボール」やアメリカで人気の「エイト・ボール」も含めてビリヤードはこの後数年間はまった。 賭けビリヤードもやるようになり、ここで鍛えたビリヤードの腕は後々 パース(Perth)や ユーゴスラビア(Yugoslavia)でも役に立った。
夜のボンダイ・ビーチ
ジャパレスで仕事を初めてひと月くらい経った頃「うちのフラットくる?」って話になり、 シドニーのダウンタウンの東側にある夜のボンダイ・ビーチ(Bondi Beach)に。
ボンダイ・ビーチ(Bondi Beach)はシドニーのサーフィンのメッカだが行くのは初めてで 彼らのフラットにはサーフボードをはじめサーフィンの道具で溢れかえっていた。
まさに「サーフィンをするためにオーストラリアに来ました」といった感じだった。
僕らは深夜のボンダイ・ビーチ(Bondi Beach, Sydney)を徘徊しいろいろな話をした。
ありえない偶然の出会い
キングス・クロス(Kings Cross)に通うようになったある日、キンクロ(キングス・クロス)で 日本人の集団を発見した。
「えっ。。。。。」
日本を遠く離れたオーストラリア・シドニーで…
航空自衛隊でパイロットをやっているはずの「実の兄貴」を発見した。
「なにやってんの? なんでオーストラリアいるの?」
Tenちゃん(実兄のあだ名)との話しは盛り上がらなかったが、 Tenちゃんの連れにいじられる。
「おー、なんだ、お前Tenの弟か?なら俺の後輩か、うちに遊びに来い!」
え、生徒隊の先輩!? …もう…ガサツな人だな…。
こっから僕のシドニー・ライフはこの人たちのペースになっていく…。
ボンダイ・ビーチ(オーストラリア・シドニー)