勝連城跡 – うるま市

うるま市 – 勝連城跡

世界遺産 勝連城跡 - うるま市

勝連城跡は沖縄が日本に返還された1972年に国指定史跡に指定され、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして日本で11番目のユネスコ世界遺産として文化遺産に登録された。13世紀前後に築城されたと考えられていて、英祖王に続く大成王の五男の勝連按司が初代城主といわれている。初代勝連按司から5代勝連按司まで続き、養子で迎えられた伊波按司が6代、浜川按司で7代、8代、茂知附按司で9代、しかし悪政を敷いた茂知附按司は阿麻和利(あまわり)に按司の座を追われ、その阿麻和利が10代城主となっている。


 

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城跡の入り口にある建物。

奥の扉は休憩所になっていて、

 

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こじんまりとしているんだけど、手入れが行き届いていてきれい。

 

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その奥にはトイレ。

 

勝連城は下から、

・外堀を備えた東の曲輪。
・5つの井戸を持つ四の曲輪。
・儀式などを行なう広場三の曲輪。
・舎殿のあった二の曲輪。
・最高所の一の曲輪。

で構成されている。

このあたりは「東の曲輪」にあたる。

 

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QRコードを読んで勝連城跡のパノラマバーチャルツアーも楽しめるんだね。

 

四の曲輪

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世界遺産って書かれてます。

 

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四の曲輪からみた勝連城跡。

 

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ミートゥガー(夫婦ガー)

縁結びの井戸。恋が成就すれば永遠の契りに。

失恋すると男女のどちらかが命を落とす。

…この井戸の前で告られたら断れないじゃん…。

 

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ウタミシガー

その年の作物の豊凶作占っていたようだ。

水が少なければ豊作、多ければ凶作。

 

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カンジャーガー

鍛冶屋の井戸って事ね。

説明文を読む限り、特に勝連城に深く関係するわけではないみたい。

 

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四の曲輪から階段を上って三の曲輪に…。

 

三の曲輪

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三の曲輪城門。

 

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元々はここに内郭の城門(四脚門)があったんだね。

 

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三の曲輪は主に儀式を行う広場。

 

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浦添城跡でも嘉数先生に説明を受けた「沖縄のグスクの石積み」の解説。

 

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神々が腰かけたと言われる「トゥヌムゥトゥ」。

 

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すり鉢状遺構 No1。

No2もあって、水を貯める施設だったようだ。

 

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二の曲輪

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正面17m、奥行き14.5mの舎殿があったとされる二の曲輪の礎石群。

こういった礎石は、同じく琉球の世界遺産の「座喜味城跡」でも見られるが、「安土城天主台跡」でも見る事ができる。

 

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勝連城跡からは大和系瓦が発見されていて、首里城や浦添城と並ぶ立派なお城だった可能性がある事が指摘されている。

 

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ウミチムン(火の神)。

ウミチムンとは、琉球古来の信仰で火の神を祀る場所を指し「三個のかまど石」を意味する。

沖縄の家庭の台所に祀る「ヒヌカン(火の神)」と同じだね。

 

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ウシヌジガマ。

10代勝連城主だった阿麻和利が1458年に首里軍によって攻め滅ぼされた時、ここを通って城を脱出し読谷まで逃げたとされるが、見た感じ人間の通れる幅はない。

 

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二の曲輪の右端(北東)にある階段を登って一の曲輪にあがる。

 

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一の曲輪階段。

二の曲輪の右端からあがり、この階段で一の曲輪の左側に入る。

階段の上部が狭くなっているのは、敵が一気に一の曲輪に侵入するのを防ぐためといわれる。

 

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一の曲輪

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勝連城の最上部、一の曲輪。

 

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二の曲輪のウシヌジガマとつながっているとされる「玉ノミウヂ御嶽」。

 

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かつては宝物殿のような建物が建っていたのが分かっている。

 

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そこそこの広さがある。

 

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勝連城の二の曲輪以外の3方向は、こんもりとした森で覆われていて、勝連半島に限らず遠くまで見渡すことができる。

確かにやり方を間違わなければ難攻不落の城郭だったんだろう。

 

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■現代版組踊「肝高の阿麻和利」

沖縄の伝統芸能「組踊」に現代音楽とダンスを取り入れた阿麻和利の半生をテーマにしたミュージカルで、1999年に勝連町教育委員会が地域おこしのために企画し、わずか7人の子供達からスタートしたが、2000年3月下旬の初公演では2日間で4,200人を動員し大きな注目を集めたお芝居で、その後、関東公演、国立劇場おきなわ公演、勝連城跡公演、2008年には初の海外公演となるハワイ公演、2009年には全国ツアーを実現している。

今では350回以上の公演を重ね、総動員数は20万人を超える人気パフォーマンスとなっている。

 

現代版組踊「肝高の阿麻和利」公式ホームページ

 

勝連城にまつわる主要人物

■阿麻和利(あまわり)
現嘉手納町の百姓の子として生まれ、のちに茂知附按司に抱えられるが、茂知附を倒し第10代勝連按司となる。人々から慕われ、海外貿易で勝連を反映させる。
■護佐丸(ごさまる)
1416年尚巴志の北山討伐に加わり、北山監守となって座喜味城に移る。1458年阿麻和利に攻められ自害。座喜味城跡や中城城跡を整備した名築城家。
■百十踏揚(ももとふみあがり)
尚泰久の長女で阿麻和利に嫁ぐ。のちに大城賢勇に嫁ぐ。
■尚泰久(しょうたいきゅう)
1454年に王位に就いた第一尚氏王統六代王。1458年に護佐丸と阿麻和利の乱を鎮圧。
■大城賢雄(うふぐすくけんゆう)
尚泰久に仕えた武将で、百十踏揚の付き人。勝連攻め首里王府軍の総大将。のちに百十踏揚を妻とする。

 

世界遺産 勝連城跡 - うるま市

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道路わきからカートに乗って四の曲輪に上る場合は、このアスファルトの道路を通る。

勝連城/あまわりパークオフィシャルサイト

https://www.katsuren-jo.jp/

 

 

勝連城跡 地図