首里 金城町石畳道
沖縄県の指定文化財、那覇市首里にある「金城町石畳道」。日本の道100選にも選ばれている。琉球王朝時代、首里城から那覇港や南部への主要道路として建造された「真珠道(まだまみち)」の一部で、第二尚氏王統・第三代国王・尚真王の1522年頃から建造が開始とされる。1597年には尚寧王の命で首里城から浦添の経塚、安波茶、牧港を通って読谷に至る「中頭方西街道」も建造を開始しているので、この時代から琉球王国の交通インフラは大きく発展している。まだ日本が江戸時代に入る前の出来事だ…。
大道通り(県道29号線)の坂を上り、松川西交差点を右に曲がり金城ダム方面に向かう道の途中、左手に「首里金城町石畳道」がある。
首里城と国場川の真玉橋を結ぶ官道「真珠道(まだまみち)」の一部で、沖縄戦の後は一時コンクリートで舗装されていたが、1983年、歴史的地区環境整備事業によってやく300mだけ再び石畳に戻された。
石畳道の登り口すぐそば左手に、泡盛と創作うちなー料理の店「首里殿内(スイドゥンチ)」。
観光客相手のお店には違いないんだろうけど、アグー豚を使うなどこだわりがある点を考えると高くもない気がする。
ずっと登って行けば首里城にたどり着く。
緋寒桜(ヒカンザクラ)と石垣がきれい。
「首里金城町石畳道」は沖縄県の指定文化財にはなっているが、車やバイクも普通に通るし、ここに並ぶ民家には普通に人が暮らしている。
見た感じはきれいに整備されていて歩きやすそうだが、スニーカーでもちょっと歩きにくい。
この大きなガジュマルが見えてきたら、ガジュマルの手前を右に進むと首里城に行くことができる。
首里 金城町石畳道「首里金城村屋」
首里金城村屋(かなぐしくむらやー)。
一般に提供されている首里金城町石畳道の休憩所。
自治会に管理が委託されていて朝9:00~18:00まで開いている。
「真珠道(まだまみち)」の沿線はこの金城町石畳道に限らず、ガー(湧き水や井戸)や樋川、史跡が多い。
ちゃんと管理されているのできれい。
首里金城村屋の裏には「金城大樋川(カナグシクウフヒ-ジャ-)」。
金城村の共同井戸。
金城大樋川の向かいには琉球料理の店「ゆくい処 石だたみ」。
家庭料理のお店らしい。
「金城大樋川」と「ゆくい処 石だたみ」さんの道をまっすぐ進んでしまうと首里城には着かないので要注意。
休憩所「首里金城村屋」を来た道から右に曲がり登り進む。
石畳と石垣が続く。
歴史散歩の道・首里金城町石畳道まーい。
↑ 国指定・金城町大アカギ
↑ 市指定・内金白嶽
石畳に階段が見えてきたらもう少しで「首里金城町石畳道」の終点。
音楽喫茶「音猫」。
営業日:日曜日&気分曜日 営業時間: 10:00~夕方。
民家を改造した喫茶店。
先ほどと同じく「金城町大アカギ」への案内板。
“内金城嶽境内(ウチカナグスクタキけいだい)に推定樹齢200年以上と思われるアカギの大木が6本自生している。幹の高さは約20mほど。アカギは沖縄県内では普通に見られる樹木だが、このような大木群が住宅地に見られるのは内金城嶽境内のみである。”
「金城村学校所跡(カナグスクムラガッコウジョアト)」の碑文。
“琉球王国時代の首里金城村(しゅりかなぐすくむら)の学校所及び役所跡。
村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村ごとに建てられた。士族の子弟は7 ~ 8歳で入学し、元服する14~15歳まで、「三字経(さんじきょう)」の読み書きから、「論語」・「孟子」などの四書(ししょ)を学んだ。
金城村学校所は1835年に創立したといわれ、「訓蒙館(くんもうかん)」と名付けられた。王国末期には136人の生徒が在学した。学校所には「中取(なかどり)」・「筆者(ひっしゃ)」といった王府役人も詰め、村の風俗・衛生を取り締まるなど、役所の機能も有した。
1879年(明治12)の琉球処分後は、学校所は廃止され村の共有地となったが、その後個人に払い下げられた。”
「金城村学校所跡」の先に続く石畳道。
ちょっと残念なのは石垣がなくなってコンクリートの壁になっちゃってる。
道を登っていくと緩やかに左にカーブしているが、その先急に右に曲がり、登り切れば首里城と道路を挟んで向かいにある「真珠道(まだまみち)」の入り口となる。
首里金城町石畳道 下りの景色
下りとのぼりでは景色が変わる。
「首里 金城町石畳道の石敢當」。
背景の識名の高台の景色がすごくきれい。
少し進むと向かいの高台の景色が緑に変わる。
もしかしたら緋寒桜(ヒカンザクラ)の咲くこの季節(1~2月)の暖かい日がここに来るには一番いいかも。