那覇 – 首里城(無料区域)

那覇 首里城(無料区域)

首里城(無料区域)歓会門

美ら海水族館国際通りと並んで沖縄を代表する観光地・那覇の首里城(スイグシク)は琉球王朝の居城として知られるが、琉球王朝成立以前の三山時代から存在し中山王の居城として使われていた。1429年、佐敷出身の第2代目中山王「尚巴志」が三山を統一し琉球王朝を建て首里城を王国の居城とした後、第二尚氏になっても遷都は行わなかったため、450年の長きに渡って首里は繁栄を続けることになった。その間、何度も増築改築を繰り返し形を変え、西側に敷地を拡げ今見られる形になったと考えられている。


 

那覇 首里城公園(無料区域)

市内線路線バス1番、14番、17番に乗り「首里城公園入口」が最寄りのバス停。

 

那覇 首里城公園(無料区域)

この緩やかな坂道をのぼると右手に総合案内所の建物があり、

 

那覇 首里城公園(無料区域)地図版

さらに進むと左手に首里城公園の地図版があり、正殿、北殿、南殿が焼失する前の様子が伺える。

 

那覇 首里城公園(無料区域)「守礼門」

目の前に「守禮之邦」と書かれた「守礼門」。

「琉球は礼節を重んずる国である」という事を意味する。

ちなみにこのように門や鳥居などの高い位置に掲げられる額は「扁額(へんがく)」呼ばれる。

 

那覇 首里城公園(無料区域)「歓会門(かんかいもん)」

守礼門をくぐるとその先、

左手に世界遺産の「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」があり、

その先右手には「歓会門(かんかいもん)」。

 

世界遺産「園比屋武御嶽石門」

世界遺産「園比屋武御嶽石門」

園比屋武御嶽石門は、1519年、第二尚氏王統第3代「尚真王」によりに創建されたもの。

御嶽(うたき)」とは祭祀などを行う神聖な場所の事で、南城市知念にある「斎場御嶽(せーふぁうたき)」などもそういった聖地。

ここの場合、石門の向こうに広がる森が「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」で、国王が城を離れる際、道中の安全をまずここで祈ってから出発した。

最高神女・聞得大君の即位式もまずここに参拝したとされている。

当然だけど当時はもっともっと広く深い森だった。

 

※神女(のろ・ヌル)…琉球神道における女性の祭司・神官。
※聞得大君(きこえおおきみ・チフィジン)…第二尚氏時代・尚真王以降の琉球神道における最高神女の役職。

 

「園比屋武御嶽石門」世界遺産の碑

園比屋武御嶽石門(Sonohyan-Utaki-Ishimon)は、2000年11月30日、

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

として日本で11番目のユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

URL:https://whc.unesco.org/en/list/972/

 

「園比屋武御嶽石門」の碑文

 

首里城 城内

那覇 首里城公園(無料区域)歓会門

扁額に「歓會門」と書かれた「歓会門(かんかいもん)」。第一の門。

首里城の外郭内郭二重の城壁の外郭の最初の門。

「あまえ御門(あまえうじょう)」とも呼ばれる。

「あまえ」とは琉球の言葉で「喜ばしい事」を意味する。

 

那覇 首里城公園(無料区域)

歓会門をくぐって…。

 

那覇 首里城公園(無料区域)瑞泉門

右手にある階段を上れば「瑞泉門(ずいせんもん)」。第二の門。

「ひかわ御門(うじょう)」とも言われる。漢字に直すと「樋川御門」。

ここには湧き水を龍の口から出すように装飾した「龍樋(りゅうひ)」と名付けられた取水所があったためそう呼ばれる。

 

那覇 首里城公園(無料区域)

首里城公園内では、史跡ごとにこういったプレートが置かれており、その史跡に関する説明が書かれているので非常に分かりやすい。

 

那覇 首里城公園(無料区域)「漏刻門(ろうこくもん)」

瑞泉門をくぐると左手に「漏刻門(ろうこくもん)」。第三の門。

「漏刻」とは漏れる水の量で時間を計る方法で、時間が着たら太鼓を鳴らし「東のアザナ(物見台)」と「西のアザナ」と「右掖門(うえきもん)」に知らせ、その三か所で大鐘を鳴らして城の内外に時刻を知らせていた。

 

那覇 首里城公園(無料区域)「漏刻門(ろうこくもん)」

またかごに乗って登城した人が国王に敬意を払ってここで駕籠を降りた事から、別名「かご居せ御門(かごいせうじょう)」とも呼ばれている。

 

首里城 広福門前の広場

那覇 首里城公園(無料区域)

漏刻門を抜けると少々広場になっていて、右手には、

那覇 首里城公園(無料区域)広福門

「廣福」とかかれた扁額のある「広福門(こうふくもん)」。第四の門。

「広く福を行き渡らせる」という意味を持つ。

「長御門(ながうじょう)」「中御門(なかうじょう)」とも呼ばれる。

 

琉球王朝時代は東側(写真左)には戸籍を管理する「大与座(おおくみざ)」、

西側(写真右)には寺や神社を管理する「寺社座(じしゃざ)」があった。

琉球八社」への「神職の役俸」と「社殿の営繕費」を支給していたのがこの寺社座。

 

…しかし…。建物だもんね…「門」の概念にハマらないな…。

首里城の特徴のひとつらしい。

ちなみに広福門の反対側、大与座のあった場所は現在「券売所」になっている。

那覇 首里城公園(無料区域)日影台

「漏刻門」と「広福門」のある広場には二つの史跡が合って、その一つが

日影台(にちえいだい)」。

いわゆる日時計。

漏刻による時間の計測では十分でないためこの日影台を設置したそうで、1879年の廃藩置県まで実用されている。

那覇 首里城公園(無料区域)

広場にある史跡のもう一つが「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」。

この建物は「供屋(ともや)」と呼ばれる。

那覇 首里城公園(無料区域)万国津梁の鐘

1458年に琉球王国第一尚氏王統の尚泰久王が鋳造させた梵鐘(釣鐘)。

本物は沖縄県立博物館・美術館に収蔵されていて、ここにあるのはもちろん複製品。

万国津梁の鐘のレプリカはあちらこちらにあって「沖縄コンベンションセンター」の施設のど真ん中にも設置されている。

もともとは首里城正殿に掛けられていたという文献があるが、正確な場所が分からないのでここに設置している。

そのため「首里城正殿の鐘」という呼び方もされる。

万国津梁の鐘には、

”琉球国は南の海の良いところにあり、中国と日本の間にある蓬莱の島で、船で万国の津梁、いわば架け橋となって貿易を行い、国に宝物が満ちている”

といった内容が刻まれている。

-首里城公園 資料より-

 

那覇 首里城公園(無料区域)「銭藏(ぜにくら)」

この広場から眼下に「銭藏(ぜにくら)」と呼ばれる、

“焼酎(泡盛)や油類、諸座への日用銭等を管理する高床敷風の施設”

があり、その向こうに

沖縄県立芸術大学 首里当蔵キャンパス」がある。

 

首里城周辺の現在の宿泊情報



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首里城 正殿(沖縄 那覇)