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本部 – 沖縄海洋博公園 おきなわ郷土村

本部町 沖縄海洋博公園「おきなわ郷土村」

沖縄海洋博公園にある沖縄の古い集落を再現した「おきなわ郷土村」。村の入り口の共用スペースには拝井泉(ウガミガー)や神アサギ、御嶽(ウタキ)などがあり、そこから「地頭代の家」、「ノロの家(※神事祭祀を司る神女)」「王朝時代の民家」…と、時代や離島ごとの民家が再現されている。今でも沖縄の各所ににこの時代に建てられたであろう民家は存在している。古民家として売買されてたりするものもあると思う。…古民家って…ミステリアスだよね…。



結構広いんだよな…。

 

おきなわ郷土村「地頭代の家」

昔、沖縄では市町村のような行政単位を間切(マギリ)と呼んでいて、地頭代はその間切を管轄した人。…なるほど、今でいう「市長・村長」相当なのね。

 

かまどは身分の違いがあっても、大体似たような感じ。

隣の意球は奇麗な平板が使われている。

 

地頭代の家は、治世者の屋敷だけあって、ここで再現されている家は台所を除いて6部屋ある。

家の正面側は床の間の一番座(客間)、仏間の二番座(仏間)、居間の三番座。

家の奥側は子女の暮らす一番裏座、二番裏座、三番裏座。

なるほど。立派な家だね。

 

おきなわ郷土村「ノロの家」

「ノロ」とは琉球政府の銘を受けて各間切に配置された女性の神官。

屋敷内に「ノロ火の神(ヒヌカン)」を祀る、「ノロ殿内(ドゥンチ)」といわれる建物がある。

…へー。ノロって政府派遣だったんだね。

 

床が竹を組み合わせた物。

地頭代の家は畳間だったのに…。

 

おきなわ郷土村「本部の民家」

この民家、昭和初期に建てられたものだそうです。

昭和元年が西暦1926年。…マジか。

昭和なんてかなり文明進んでるのに…。

 

おきなわ郷土村「王国時代の家」

王朝時代は身分によって家屋の大きさが制限され… …瓦葺は禁止されていました。

…なるほど、庶民の家屋ははかやぶきだったんだね。

 

おきなわ郷土村「与那国の民家」

かやぶき。でもそこを除いたら日本本島でもよく見た造りのような気がする…。

与那国って日本最西端の島だから、日本本島から最も離れてるんだけどね…。

 

おきなわ郷土村「奄美の民家」

石垣のパーツが薄い石を積み上げてるあたり「あ~、離島でよく見るやつだ~。」

って感じ。

 

主屋と台所の二棟建てが特徴…。

…そうなんだ。

ここの床も竹なのね…。

 

おきなわ郷土村「近年の民家」

1889(明治22)年、琉球王国時代の建築制限が解除されたので「赤瓦」が使われだした。…との事。

 

数百年離れているのに「地頭代の家」とあまり建築様式が変わらない気がする。

 

豚舎。

…ど、どういう事?ここで豚飼ってたの?

 

 

おきなわ郷土村「おもろ植物園」

沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」にうたわれている植物のうち…。

えっ、「おもろさうし」って沖縄のものだったっけ…。

…沖縄暮らしが長くなって、日本史と区別がつかなくなってきてる…。

 

おきなわ郷土村「奄美の高倉」

穀物を保存する高倉。

この高倉の集まりを通称「群倉(ブリグラ)」と呼んでいるが…。

学者さんてすごいね…。

多分「おきなわ郷土村」には4回くらい来てるんで、見たら分かるんだけど…

…解説は、へー、そうなんだ。の連続…。

 

沖縄海洋博公園 おきなわ郷土村(本部町)

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