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那覇 – 首里城(有料区域)2

那覇 首里城(有料区域)

那覇 首里城(有料区域)。琉球処分の一連の流れの中、1879年3月末、処分官・松田道之が軍隊と警官を率いて来琉し「琉球藩を廃して沖縄県を設置する(廃藩置県)」と琉球王府に通達。琉球藩王の人民や土地に関する書類は全て明治政府に渡され、藩王・尚泰は華族の身分を与えられ東京居住を命じられる。こうして首里城は王府としての機能を失う。この琉球処分以後、首里城は実は長い間あまり大切にされていない。まず初めに第6師団の軍営として活用され、その後県立首里高等女学校となり、1923年には老朽化を理由に正殿の取り壊しも検討されている。文化調査を行っていた東大教授 伊東忠太らの働きにより沖縄神社の一部として修復されるが沖縄戦で首里城内施設のほとんどは壊滅的ダメージを受ける。戦後には首里城跡に琉球大学が設置されるにあたり多くの遺跡や遺構が撤去埋め立てされている。首里城の再建のムードが広まってきたのは、1958年に守礼門が再建されて以降となる。今でこそ沖縄県民のアイデンティティと称され大切にされる首里城だが「軍用地、高校、神社、軍指令部、大学」実に80年近くもたらいまわしの扱いを受けている。


 

首里城「東のアザナ」の高台

奥に見えるのは奉神門。城内が一望できる。

 

奥に見えるのが「東のアザナ(あがりのあざな)」と呼ばれる城郭東端にある物見台。別名「高アザナ」。

城郭の西側、木曳門(こびきもん)の近くには「西のアザナ(いりのあざな)」がある。

 

街の様子も良く見渡せる。

 

東のアザナ(あがりのあざな)」。

晴れていたら太平洋側に「アマミキヨ」が降りて国を作ったとされる琉球王国最高の聖域「久髙島(くだかじま)」が見えるそうなので、東西のアザナで沖縄本島の宜野湾以南くらいは全て見渡せるのだろう。

 

女官たちの浴場だった「湯屋(ゆや)」の跡。

 

世誇殿(よほこりでん)の横の通路を通り、

 

後之御庭(くしのうなー)に出る。

 

首里城の大奥に当たる「御内原(おうちばら)」への出入り口

淑順門(しゅくじゅんもん)」。

 

首里城 有料区域 を出て

淑順門を出て右手に広場。

 

淑順門の外観。

 

淑順門を出て左に進むと「右掖門(うえきもん)」。

別名「寄内御門(よすふぃちうじょう)」とも呼ばれる。

 

右掖門をくぐるとその先に約160メートルの石畳道が続く。

 

右手に「久慶門(きゅうけいもん)」。

奥に見えるのが第一の門「歓会門(かんかいもん)」。

左上には「瑞泉門(ずいせんもん)」。

首里城の入り口に戻ってきた。

 

久慶門の向かいには「寒水川樋川(すんがーひーじゃー)」。

「漏刻門(ろうこくもん)」の崖下の位置。

 

久慶門(きゅうけいもん)」。

 

久慶門から来た道「右掖門(うえきもん)」側を見るとこういう景色になる。

 

久慶門をくぐるとその先には「沖縄県立芸術大学 首里当蔵キャンパス」。

 

久慶門外観。

 

「歴史を語るアカギの大木」。

”この木は戦前まで約1mもの太い枝を首里城の城壁までのばして道行く人々に涼しい木陰を提供していた…
しかし沖縄戦によって焼かれ幹だけが残り、さらにその幹もその後の台風で折れてしまった…
ところがその後そのアカギの幹にアコウ(クワ科)が寄生し、アカギを支えた事で昔の面影を留めることになった…”

 

近くで見ると外郭の城壁凄いな…。

 

弁財天堂と第32軍司令部壕

首里城の外郭の側道、園比屋武御嶽石門とアカギの大木の間に森の中に下る階段がある。

階段を下ると…

 

第32軍司令部壕」。

”全長1,000m以上にも及ぶ巨大な人口壕の第32軍司令部壕跡は、沖縄守備軍の戦闘指令所の跡である。沖縄守備軍は、1944年3月に創設され司令部は那覇市松川に置かれたが、1945年1月に首里第二国民学校(現城西小学校)・沖縄師範学校(現沖縄県立芸術大学)、同年3月に第32軍司令部壕へと移動した。米軍上陸後、首里地域は攻防戦の中心となり、壕内には軍首脳以下、約1,000人が生活し指令官室・参謀長室・作戦室・無線室の他に兵隊のベッドや炊事場、浴室にトイレまで完備されていた。坑口からおよそ150mのところで土砂が堆積し行き止まりとなっており、旧日本軍が撤退した際に爆破した影響とされている。坑口はフェンスなどで閉鎖されているため入ることはできない。”

– 「那覇市観光資源データベースより引用」 –

 

龍淵橋から見た円鑑池に浮かぶ「弁財天堂」。

こちらからは見えないが、弁財天堂の後ろには「天女橋」。

 

この先が「龍潭池(りゅうたんいけ)」。

 

歓会門に戻ってきた。

 

奥に見えるのが「木曳門(こびきもん)」。

の右手には「西(いり)のアザナ」という物見台。

”木曳門は首里城の修復工事の時にのみ、資材の搬入口として使用された門である。普段は石積によって封鎖され、数年に1度といった頻度で行われる工事のときだけそれを撤去して使用した。
現在は車椅子用ルートが整備されている。”

 

首里城公園内 首里杜館(すいむいかん)

木曳門の道向かいには首里城公園レストセンター「首里杜館(すいむいかん)」。

 

首里杜館の前の広場ではステージとテーブルが並べられ「首里夜市」。

 

コーヒーや軽食の「カフェ龍樋」。

 

沖縄そばや琉球料理のレストラン「首里杜(すいむい)」。

 

お土産屋さん「ショップ紅型(びんがた)」。

 

 

真珠道(まだまみち)

この道が首里城から現在の米軍那覇軍港(那覇港)に通じる「真珠道(まだまみち)」の出発点で、島添坂(シマシービラ)と呼ばれている。

この下り坂の途中が「金城町石畳道」として戦後に復元されている。

 

 

首里城周辺の現在の宿泊情報



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首里城 世誇殿(那覇)

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