読谷村 やちむんの里
やちむんの里のシンボル的な存在、赤瓦の「読谷山焼窯」。琉球王国時代に琉球政府の命令により、那覇市壺屋にある「やちむん通り」に沖縄中の陶工が集められ、約300年がたった現代。那覇には多くの人が集まり、大きなマンションやホテル、商業ビルが立ち並びだす。沖縄の伝統的なやちむん作りにおいては、大きな焼き窯を使い、何日もかけて大量の薪で焼き物を焼き、煙をたくさん出すため、都市の環境には合わなくなってきていた。そんな中、沖縄初の人間国宝「金城次郎」氏が1972年、沖縄がアメリカから日本に返還された年に読谷に移り住み焼き窯を開いた。それを機に多くの陶工が読谷に移り住み「やちむんの里」が形成された。
やちむんの里の駐車場にある里の地図看板。
やちむんの里は施設名とかではなく、19の工房が集まった読谷村座喜味の森に囲まれた地域の名称。
地図でも見て取れるようにぐるっと一周道路になっていて、車でも回ることができる。
駐車場から少し奥に進むと「読谷山焼」の黒い看板の「読谷山窯共同売店」があり、この後ろに読谷やちむんの里の象徴的焼き窯「読谷山焼窯」がある。
「読谷山焼窯」の右奥には「ギャラリー玉元工房」。
9つの窯が連なる「読谷山焼窯」。
先に進むと「ギャラリー山田」。
その先に進み、左手に曲がり、少し下がったところにも大きな工房「北窯共同作業所」がある。
やちむんの里の入り口辺りに戻ってくると投機を販売する「まらなた」。
ぜんざいやアイスコーヒーなども提供している。
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その隣に「陶芸城」。
なんとここは人間国宝 金城次郎氏の子孫、金城敏幸氏の工房だって。
実は僕も金城次郎氏の魚紋の作品はテレビで見た事があって…。
(沖縄住んでて実物じゃないっていうね)
すっごいいいよね。魚紋。
僕には特に芸術のセンスはないと思うんだけど、金城次郎先生の作品は人の心を惹きつける力がある。