福岡市 – 明治通り 福岡城堀石垣

福岡市 – 明治通り 福岡城堀石垣

福岡市 - 明治通り

舞鶴公園を出て上之橋を渡り明治通りを天神に向けて歩き出す。まあ1kmちょいなんで徒歩15分くらいだから、福岡の市街地をちょっと散策するには良い距離だ。…と思ったら、歩道上で「福岡城堀石垣公開中(無料)」と貼り紙がされた扉を見つけた。どうみても地下鉄の整備用の地下入り口とか、上下水道の管理用の扉にしか見えない。本当に入っていいのかかなり不安になりながら中を覗いてみると、地下に続く階段があった。


 

福岡市 - 明治通り 福岡城堀石垣

福岡城 堀石垣 公開中(無料)
毎週土・日曜日
午前十時から午後五時まで

と明らかにプリンターで出しただけの飾り気のない貼り紙が、透明テープで割と雑に扉の内側に貼られているのを発見。

扉の中を覗いてみると地下に続く狭い階段があり、人気はなかった。

「なんだこれ? 入っていいのか?」

と躊躇していると、一人の男性がなんの迷いもなく扉の中へ消えていった。

彼は作業服や制服を着てるわけでもなかったので、おそらく一般人。

まあいいかと思い階段を降りていくと…。

 

福岡市 - 明治通り 福岡城堀石垣

管理人らしき男性と先ほどの一般人。

管理人らしき男性にこれは何かを聞いて、写真撮影の許可をもらう。

どうやら明治時代に電車を通すための道路整備で埋められたもので、昭和53年になって地下鉄を通すための工事をしている時に発見された物らしい。

 

福岡市 - 明治通り 福岡城堀石垣

福博惣絵図(正保3(1646)年)

1646年に幕府に届けられた福岡城の絵図で、福岡城が描かれたものとしては最も古い物で、南北逆に描かれている。

舞鶴公園まるまるって感じなんで、やっぱり結構広いよね。

 

福岡市 - 明治通り 福岡城堀石垣

今昔・福博絵図

那珂川や御笠川、樋井川の形が現在とかなり似ていることから、この絵図の正確性が分かる。

博多は壱岐島や対馬を経由地として朝鮮半島に渡るのに最も都合のいい地理的条件から、昔から日本の国際港の機能が発達した。

それこそ漢の光武帝から金印を受け取った時から、遣隋使や遣唐使が中国に派遣された時もこの博多港から出航したとされる。

おそらく日本最初の国際港。

 

この今昔・福博絵図は「17世紀末の福博古図に現在の地図を重ね合わせたもの。」だそうで、博多港が埋め立てにより発展してきたことが見て取れる。

 

福岡市 - 明治通り 福岡城堀石垣

外の説明版にこの堀石垣の説明書きがあり、

史跡 福岡城跡堀石垣

福岡城は関ヶ原の戦功によって、豊前十二万石から一挙に筑前五十二万石を拝領した黒田長政が慶長六年(西暦1601年)から7か年の歳月を費して築城したもので、城の規模は、広さが24万坪(約80万平方メートル)で、本丸をはじめとして大小47の櫓が築かれ、雄大なものであった。

 「福岡城」の名の起こりは、黒田家の出身地が備前国邑久(おく)郡福岡(岡山県)であったことに由来している。

この石垣は明治43年に市内電車(旧福博電車、後の西鉄電車)敷設の際に埋められたが、地下鉄工事によって発見(昭和53年)され保存されたもので、この他にも平和台球場入口に2か所保存されている。

この石垣が公開保存されたのは、時代の推移に従って石垣の積み変えが明らかに残っていること、及び基盤が岩で石垣が動かず当時の姿に比較的近いであろうという判断によるものである。

石の材質は玄武岩で、宮ノ浦(西区)の唐泊地区から取り寄せたことが文献からうかがわれる。

当時の堀の規模は、幅が三十間(約50メートル)、深さは堀の中央部で二間(約3.5メートル)と伝えられている。

昭和五十四年十月

福岡市教育委員会

と書かれていた。

ちなみに最寄駅は地下鉄空港線の赤坂駅。

 

…史跡だったのか…。

 

明治通り 福岡城堀石垣 地図