福岡城跡・舞鶴公園

福岡城跡・舞鶴公園

舞鶴公園

舞鶴公園は広大な福岡城址を利用して作られた公園で、福岡市営平和台陸上競技場や舞鶴公園球技場、舞鶴公園野球場などのスポーツ施設に三ノ丸広場や鴻臚館広場などのオープンなスペースがあり、元々お城だったことから多くの史跡が点在していて、桜をはじめ梅や牡丹、芍薬、ツツジなどの四季折々を彩る樹木やお花を見る事ができる。特に桜はソメイヨシノや八重桜が約1,000本も植えられていて、毎年春には「福岡城さくらまつり」が開催される。福岡城はその見た目が大空を舞う鶴のように見えた事から、別名「舞鶴城」と呼ばれていて、それが由来でこの公園は舞鶴公園と名付けられた。


 

舞鶴公園

大濠公園から隣接する舞鶴公園に入る。

左手の広場は三の丸広場。

その名の通り、福岡城の三の丸の西側にあたる。

右手には舞鶴公園 BBQ GARDEN

 

名島門・舞鶴公園

名島門。

黒田長政が福岡城に移る前に居城としていた名島城の遺構。

 

鎌倉時代初期に相模国(現在の神奈川県)に勃興し、豊後国(現在の大分県)から始まり、肥前(現佐賀県と長崎県)、肥後(現熊本県)、筑前(福岡県)と九州の北三分の一を収めた大大名大友氏の血を引く立花鑑載が博多湾に築城した水城(水軍の為の城)で、三方を海に囲まれていた。1587年、豊臣秀吉によりこの地を与えられた小早川隆景が大改修して居城とし、1600年の関ヶ原の戦いの後、黒田長政が入城したが、福岡城を作るにあたり廃城とされ、その石垣や建材は福岡城築城の資材となった。名島門だけはこの地に移築され残された。

 

牡丹芍薬園(舞鶴公園)

牡丹芍薬園(ぼたんしゃくやくえん)。

御鷹屋敷と呼ばれる黒田如水(官兵衛)の隠居屋敷があった場所。

 

開園 9:00
塀塩 17:00
入園無料

 

牡丹芍薬園(舞鶴公園)

牡丹芍薬園にあがってみるとお花はまだ咲いていなかった。

ここのお花は例年だと4月の終わり頃に開花しはじめて、5月上旬頃が一番いい時期のようだ。

 

福岡城跡・舞鶴公園

名島門を抜け、牡丹芍薬園を過ぎ、信号を渡り、福岡市営平和台陸上競技場を右手に進むと巨大な石垣が目に飛び込んできた。

 

舞鶴公園オフィシャルサイト。

 

国史跡 福岡城跡

福岡城跡

福岡城は関ヶ原の戦いの功績により筑前一国52万3千石を与えられた黒田孝高(官兵衛/如水)・長政親子が1601年から7年間かけて新築した城で、1607年に竣工、1873年に発布された明治政府の廃城令により陸軍の管理下に置かれ、多くの建物が解体、移築された。

別名舞鶴城。

 

福岡城跡

戦乱のない泰平の江戸時代初期に建てられ、260年余りの時間を経て、明治の初期に近代陸軍の基地となり、その文化財は荒らされたわけだ。

 

九州大学附属図書館[福岡城下町・博多・近隣古図]。

 

福岡城跡

黒田官兵衛親子が博多に入った時代、博多はすでに商人の街として栄えていたようで、那珂川を挟んで西側は荒地だったようだ。福岡城はそこに造られた。そして博多と福岡城の間に天神の街が発展していった。

 

福岡城跡

福岡城「幻の天守閣」が見えてきた。

 

福岡城跡

2024/01/23、福岡市は、3月末から4月初旬に開催される「福岡城さくらまつり」に合わせ、鉄パイプで天守閣を組み上げ、3~5月限定で公開し、夜には7色のライトアップをすると発表した。

ライトアップは18:00~22:00の間おこなわれ、5月末まで続けるようだ。

 

福岡城跡

実は福岡城には天主台はあるが、天守閣はなかったのではないかという議論がある。

福岡城を描いた最古の絵図「福博惣絵図(1646年)」に天守閣が描かれていなかった事を根拠に、長い間、黒田親子は幕府に遠慮して天守閣を作らなかったという説が有力だったが、最近になって別の文書が見つかり、やはり天守閣はあったのではないかという説が浮上した。

 

福岡城跡・天守閣

正面の階段が閉鎖されているので、どうやって天主台に登ろうかと考えていたら、白人の女性がこの階段を登って行ったので、僕も真似をしてここを登って行った。

 

福岡城跡・天守閣

ここは小天守台。

 

福岡城跡・天守閣

鉄パイプを組んだものとはいえ、かなり立派な天守閣になってる。

高さは約14メートル。

 

福岡城跡・天守閣

天守閣にはニッカポッカを着た作業員が5、6人いた。

もしかしたらまだ作業中なのかもしれない。

 

国史跡 福岡城・鴻臚館オフィシャルサイト。

 

福岡城跡 多聞櫓

福岡城跡

天守閣を離れ、右手の道を進んで行く。

 

福岡城跡

多聞櫓(たもんやぐら)

築城当時の位置に現存する多聞櫓は、城の南方に位置した南二の丸に建っています。南二の丸は出入口が一つのみで、二の丸全体の中で独立した区画となっており、城の南方の防衛を担っていました。

 

福岡城跡 多聞櫓

国指定重要文化財「多聞櫓」。

 

福岡城跡 多聞櫓

なかなか長い櫓だね。

 

福岡城跡

桐の木坂。

 

福岡城跡

結構城内は広かったな。

 

舞鶴公園

鴻臚館広場にある「福岡城むかし探訪館」。

福岡城にまつわる資料などが見れる。

 

福岡城むかし探訪館のサイト。

舞鶴公園 鴻臚館広場

舞鶴公園 鴻臚館広場。

鴻臚館(こうろかん)は飛鳥時代(593年・推古天皇元年~)、奈良時代(710年~)、平安時代(794年~)にかけて、平安京(京都市)、難波(大阪府)、筑紫(福岡市)の三ヵ所に設置された唐や新羅の使節を接待・宿泊させる迎賓館で外交施設。

当時は筑紫館(つくしのむろつみ・つくしのたち)と呼ばれていて、日本書紀に新羅国使をもてなしたという記事が初めて登場する。

1987年12月、平和台球場改修工事に伴う発掘調査で鴻臚館の関連遺構が発見され、今も保存、研究が続けられ、展示館内で一般公開されている。

現在遣構が確認されているのは筑紫(福岡市)の鴻臚館だけで、国指定の史跡になっている。

 

■鴻臚館跡展示館(オフィシャルサイト

開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
住所:〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内1
電話:092-721-0282
FAX:092-721-0282
メール:info_kr@korokan.jp

 

福岡城 上之橋御門跡

上之橋御門跡。

この橋を渡って外に出れば、天神に続く明治通りに出る。

 

福岡城跡地図