トルコ – イスタンブール

トルコ イスタンブール

トルコ イスタンブール モスク

イスタンブール。人口1,000万人を超すヨーロッパを代表する大都市でトルコ最大の街。黒海(Black Sea)とマルマラ海(Sea of Marmara)に挟まれボスポラス海峡で アジア側とヨーロッパ側に分断されている。紀元前660年頃からの古い歴史を持つ都市で、かつては ローマ帝国、ビザンティン帝国、ラテン帝国、オスマン帝国といった巨大帝国の首都だった。


 

ドゥバヤズィット(Dogubayazit)からアンカラを経由し約1,000Kmの距離をイスタンブールに向かう。

ゴードン達3人はカッパドキアの後、アンカラに行き、その次は イスタンブールに向うはずなので、イスタンブールのユースホステルを探せば彼ら3人と落ち合えるはずだ。

イスタンブールにもユースはたくさんあるだろうが彼らの行動は大体読める。

・高いユースは選ばない。
・安くても不潔なユースは選ばない。
・安くても交通の便の悪い町外れのユースは選ばない。
・きっと駅かバスターミナルの近くのユースの中から選ぶ。

 

アンカラを過ぎたあたりではもう再会が楽しみでワクワクが止まらなかった。

 

トルコ イスタンブール「タイデス、ゴードン、チギーとの再会」

…なんのことはなかった。

イスタンブールの駅で列車を降り、インフォメで地図をもらい、ユースの情報を聞き、街を歩きだしたら、あたかも僕を待っていたかのような タイミングで3人組に出会った。

 

てっきり僕はイランに向かったと思っていたはずの彼らだが、

「おー、Mit。元気?」

くらいの軽さで僕を迎えてくれた。

 

…こっちは感動の再会を期待してたのに…。

 

僕はこれまでのいきさつを話し「合流させて!」と返事も聞かずに 合流した。
彼らは今市内観光に出たところらしく僕は一人重い荷物を背負ってそのまま彼らと市内観光に出かけた。

 

トルコ イスタンブール「アヤ・ソフィア」

アヤ・ソフィア」。

1985年「イスタンブール歴史地域」の1つとしてユネスコ世界遺産に登録された。

537年12月に建てられたもので、四基のミナレットが加えられてからは「アヤ・ソフィア」と呼ばれるようになったが、元々は「ハギア・ソフィア大聖堂」と呼ばれていた。ビザンティン建築の傑作とされている。キリスト教の聖堂だったり、モスクになったり、博物館になったり長い歴史の中で時折々の勢力の変遷があったためそんな事が起きる。

 

イスラム教では一日5回の礼拝「サラート」を行なうのだが一日の初めの礼拝は「夜明け」。

オレンジの夜明けとともにアザーンと呼ばれる「礼拝への呼びかけ」がミナレット(Minaret・モスクの尖塔) に取り付けられたスピーカーから流れる。

 

物価が安い事もあり、トルコには結構長く滞在した。

ある朝、朝日が昇る前に目が覚め、建物の屋上に上って日の出を見ていたら、日の出とともにアザーンが流れる中、サラートを行なっている人々を眼下のいたるところで見る事ができた。

 

…なんとも神秘的だった。

 

イスラム教は戒律が厳しい事もあり、みんな世界中どこにいても何をしていてもちゃんとその時間に真面目にサラートを行なう。

 

トルコ イスタンブール「ブルーモスク/スルタンアフメト・モスク」

通称ブルーモスク。正式名称スルタンアフメト・モスク(Sultanahmet Camii)。

 

イスタンブール観光では外せないスポット。

6つのミナレット(尖塔)が特徴でオスマン建築の傑作と言われている。

 

何本ものオベリスクが立ち並ぶ広い公園を挟んで通称レッドモスク(アヤ・ソフィア)が建っている。

 

トルコ イスタンブール モスクの中

 

ブルーモスク周辺の現在の宿泊情報



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トルコ イスタンブール モスクの中

 

水パイプ

女性の頭を覆うターバンをヒジャブ(Hijab)、 男性の正装時の帽子をペチ(Peci) というが、イスタンブールではこういったイスラム教独特の格好をしたアラビアンが多くなる。

 

「…あー、俺、アラビア…イスラム圏にいるんだ…。」

 

と実感できる。

エフェソスパムッカレ(Pamukkale)カッパドキア(Cappadocia)などの いわゆる観光地ではあまり見なかった気がする。

 

アラビアで雰囲気の出るものと言えば「水パイプ」もそんなアイテム。

水パイプの吸える店を発見した僕たちは早速試してみる事に。

こちらでは喫茶店感覚らしく、チャイ(トルコの紅茶)しながらゴードンと僕は しばし水タバコを楽しんだ。

 

トルコ イスタンブール「水タバコ」

トルコ イスタンブール「水タバコ」

…水タバコ吸いながら、合間に普通の紙タバコ吸っちゃってるね…。

やっぱ嗜好品なので慣れてる物の方が落ち着くわ…。

 

トルコ イスタンブール「水タバコ」

トルコ イスタンブール

イスタンブールではゴードン達とつるんでばかりではなく、 トルコ人男性と仲良くなり、酔っぱらって 「景色のいい丘の上の店に行こう。」と誘われ、 導かれるまま飲み歩いた夜もあった。

 

そうすると地元らしい食べ物や珍しい食べ物にもめぐり合う。 ある晩のつまみは

 

・羊の脳みそ。
・コウモリの姿焼き。

 

…本当に地元の人が食べているのかどうだか未だにわからないが…。

まあ、レストランで提供しているのだから食べ物の認識なんだろう…。

 

まあ、僕は食べた。彼も食べてたので…

味? …印象がない。

 

イスタンブールでバッタリ再会

トルコ イスタンブール「バックパッカー達と偶然再会」

イタリア(Italy)からギリシャ、トルコまで流れるバックパッカーは少なくないようで、 4人ともバラバラでトルコまで来ていたのでそれぞれに各地での出会いがあり、 イスタンブールの通りを歩いていると、ゴードンの知り合いとばったり道で出会った。

チギーの知り合いもいたようだ。

 

僕とゴードンとタイデスとチギーがバッタリ出くわしたのと同じ現象が イスタンブール(istanbul)の道端で起きたわけだ。

 

港とかユースとかで再会というのは多そうだが道端って…。

やっぱり世界は狭い。

 

トルコ イスタンブール「チャイ屋さん」で情報交換

再会を祝ってみんなでチャイしてしばらく情報交換をした。

 

別れ。そして次の旅

トルコをずっと一緒に旅してきたゴードン、タイデスと別れ、 僕とチギーはギリシャを通ってユーゴスラビアに向かう事にした。

 

ゴードンとタイデスは休暇の期限が迫っていたが、僕とチギーは 期限のないヒッピーだったのでそのまま旅をつづける事にしたのだ。

 

最後の晩餐という訳でもないが街のレストランでビール片手に4人で食事をした。

 

トルコに入ってからは一人旅ではなかったのでイタリアまでのように 野宿とかバケットとチーズをかじって食事を済ますとかではなく、ちゃんと宿に泊まり食堂で食事をする生活になっていて取り立てて「晩餐」といった感じではなかったが、 気持ち的には「お別れ会」というか、それぞれの「壮行会」というか 少し特別なディナーになった。

 

トルコ イスタンブール レストランで食事会

トルコ イスタンブール レストランで食事会

トルコ イスタンブール「ギリシャからユーゴスラビアに出発の朝」

新しい旅はすがすがしい気持ちで始まった。

さあ、ブルガリアをかすめてギリシャからユーゴスラビアに出発だ。

 

スルタンアフメト・モスク(イスタンブール)地図