マカオ 殷皇子大馬路を歩く
グランド・リスボア/新葡京酒店周辺の派手派手のネオンやイルミネーションが溢れるミッドタウンを抜けると 居住区が登場してくる。フランスのメゾン的なお洒落なアパルトメントが印象的だった。
すれ違う観光客とは違う人々。
おそらくマカオの住人達だろう。
マカオの人口は2014年段階で58万人。
1964年の時点では19万人なのでこの半世紀で人口が3倍にも増えている。
カラフルなタクシー。
でも嫌な派手さじゃない。
いい感じの西洋風マンションの階段の下に「公衆トイレ」。
街中にあるからか明るくて清潔。
…まあ、その辺のカジノに入っちゃうのが一番きれいだけど…。
周りの様子がだんだんレジデンスっぽくなってきたので、僕らはここから 引き返すことにした。なんだかヨーロッパの街を思い出させるモダンさがちりばめられていて…。 ちょっと住んでみたいな。って思った。
もちろん漢字の看板が多く「東洋色」はあるんだけど、 建築様式は西洋風のも多く、この辺りはヨーロッパとかシドニーと同じようなにおいがする。
マカオ/澳門 ホテル リスボアの前を走る「賈羅布大馬路」。
マカオ 友誼大馬路
友誼大馬路沿いの「スターワールドカジノ/星際酒店」。
歴史的には16世紀の初め頃、中国明王朝との交易とキリスト教(カトリック)布教のためにポルトガル人がマカオに居留地を確保し、16世紀半ばにはポルトガルのマカオ植民地が成立したとある。
1636~1639年には鎖国中の日本の長崎の出島での貿易の記録もあるのでポルトガルにとってマカオはアジアにおける各種活動の重要拠点だったのだろう。
マカオ返還は1999年12月20日となっているので、中国大陸にあった国としては、明、清、中華民国、中華人民共和国と約450年に渡ってポルトガルの拠点だったわけだ。
また1840年から2年間にわたり行われたイギリスと清のアヘン戦争に触発され、それまで緩やかな支配だったのが、1887年の清との「友好通商条約」締結で正式にマカオを統治下に置く事になる。
現在のマカオの公用語はこういった歴史の影響もあり、広東語、ポルトガル語ということになっているが、こんなに長期の支配期間があったにもかかわらずポルトガル語を話すのは1%にもみたないそうだ。
友誼大馬路沿いの「パラシオ/法老王宮殿娯楽場」。
友誼大馬路沿いの「ザ ランドマーク マカオ/澳門置地広場酒店」。
友誼大馬路沿い「司法警察局」。