ホーチミン ベンタイン市場
ベトナム ホーチミン市 ベンタイン市場(Ben Thanh Market.)内部。 ベンタイン市場は1914年から開かれている市場で、広いロータリー(ラウンドアバウト) に隣接して建てられ、内部には洋服や雑貨、日用品や食料品、食堂にカフェや花屋さんなどが入り、手に入らない物がないのではないかといった物量が所狭しと並べられている。海外から多くの観光客が訪れる為、観光土産も多い。近くにはベンタイン・バスターミナルやカク・チ・チャン広場がある。
一方通行三車線の車道を押し渡る。
台湾もバイク天国だったがちゃんと信号を守るので、人が渡るときはちゃんと渡れる。
しかしホーチミンは信号が少ない。
車道があるのに信号がないところも普通にある。
よって、車やバイクの合間を縫って道路を横断するのが常識だ。
今日がその「未経験のローカル常識」にぶち当たった初日で、皆がそうしているのでそうした。
…というよりそうしないとこの三車線は永遠に渡れない。
ベンタイン市場の中。
広い体育館に屋台が入っている感じだ。
暫くウロウロしてみたが、どうも品質に信頼が置けない。
バックパッカーや白人がたくさんいたので観光客がくる場所であることはよく分かった。
値段もかなり安いのだが、観光客が訪れる為これでも他の市場よりはかなり高く設定されているらしい。
…後で知ったのだが、このお店一区画の権利譲渡金額、
なんと1,000万円以上するそうだ。
ベンタイン市場の前のラウンドアバウト。
買うものもないのでベンタイン市場を出てドンコイ通りを目指す。
もちろん歩く。
この道の幅の広さ… わかる?
交通量多いよね…。
でもみんな平気な顔してこの道路を渡っちゃう。
ホーチミンスクエアとホー・チ・ミン像
日本のODAで開発が進められているという地下鉄工場現場(2020年開通予定)を抜け、 ホーチミンの銅像がある広場「ホーチミンスクエア(Square walk Nguyen Hue)」に到着。
う~ん、ひろーい。人がいな~い。ここに来るまでのカオスはなんだったんだ。
信号がある…。
いやいや、ここに来るまでに凄い交通量なのに信号が無い所たくさんあったでしょ。 信号設置するところ間違ってるでしょ。
ちなみにこのホーチミンスクエアはサイゴン川と市役所(シティカウンシル)の間を結ぶ広場となっていて、 高級オフィスや高級ホテル、デパートなどが立ち並ぶ。
JETROベトナム事務所もこのエリアの高級オフィスビルに入っている。
なるほど綺麗なわけだ、今年(2015年)の4/30に工事が終わったばかりなのか…。
んでその4/30はベトナム南部解放記念日なんだね。
このホーチミンスクエア、お昼は観光客やウェディング写真を撮る人くらいしかいないが、 夜になるとたくさんの人が集まり、結構な混雑となる。
正面に見える建物が「ホーチミン市人民評議会・人民委員会」の会館。
その前にホー・チ・ミン氏の銅像。
右手に見えるのが高級ブランドショップの入る「ユニオンスクエア」。
左手に見えるのが「レックス・ホテル ホーチミン(REX Hotel)」
ホーチミンスクエアのホー・チ・ミンさんのこの銅像も今年の4月に建てられたもののようだ。
【ホー・チ・ミンさんって…どんな人?】
わずか20日余り後の9月2日、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任した。しかし実質は戦勝国である連合国側諸国がベトナム独立を認めなかったため、実際に国際社会に認められる独立を果たすまでには「インドシナ戦争」を経て1954年「ジュネーヴ協定」が締結されるまで、フランスを相手に長いゲリラ戦を戦う事になる。しかし、これでもまだベトナムは正式に独立を果たせず、1960年~1975年まで続く「ベトナム戦争」に突入、南北ベトナムで分裂して戦う事になる。
ホー・チ・ミン氏は結局完全なベトナムの独立を見ることなくベトナム戦争のさなか79歳でこの世を去った。ホー・チ・ミン氏は第一次世界大戦、第二次世界大戦と激動の時代に政治活動を世界的に行なったため、複数の名を持つ。海外で共産主義者として活動していた時期、初めて彼の名を世界に知らしめた際に使っていた名前は「グエン・アイ・クォック」。その他の時期の名前も紹介しておく。
本名:Nguyen Tat Thanh(グエン・タット・タイン/ 阮 必成)
海外政治活動名:Nguyen Ai Quoc(グエン・アイ・クォック/ 阮 愛国)
以降:Ho Chi Minh(ホー・チ・ミン/ 胡 志明)
生没:1890年5月19日-1969年9月2日