鷹の巣展望台とキリルとメフォディの像へ
午前中のインタビューを一件終えてオケアンスキー通りからセメノフスカヤ通りに入る。
ヒュンダイホテル(現ロッテホテル)の脇を通り過ぎウポレヴィチャ通り、スハノワ通りに入りスハノワスクエアを左手に見ながら東に進む…。
天気が良くて晴れの日で積雪がないと非常に活動しやすくなる。
ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー記念碑。
1847年東シベリア総督に就任しロシアの極東政策に取り組み、1858年のアイグン条約によりロシア領土の大幅な拡大に貢献した人物。伯爵。軍人。政治家。外交官。
金角湾横断橋の入口の道路を渡って少し坂を上がると…。
ウラジオストクを代表するこの光景に出合える。
下に向かうケーブルカー乗り場があった。
そこから反対側、道向かいの丘の上に「鷹の巣展望台」が見える。
鷹の巣展望台・キリルとメフォディの像
ケーブルカー乗り場を通り過ぎ右手にある階段を降りてスハノワ通りの下を横断するトンネルを抜け「鷹の巣展望台」を目指して階段を上っていく。
鷹の巣展望台の後方にある大きな施設は「アルト・エタジ現代美術館」。
「鷹の巣展望台」の下にあるお土産屋さん。
この辺には公衆トイレはないので、 もよおした場合はこのお店のトイレを借りるしかない。
土産屋さんの入口付近にトイレはある。
「鷹の巣展望台」からの眺望西側。
…ここも フランス・リオン のつり橋の様に鍵がたくさんかけられてあった。
「鷹の巣展望台」からの眺望東側。
キリル(キュリロス)とメフォディ(メトディオス)の像(Statue Of Saints Cyril And Methodius.)。
この二人はギリシャ人宣教師の兄弟で9世紀に文字を持たない言語だったスラヴ語の為に文字を考案したと言われる。
もちろん文字が発明されるとその文化の発展は加速する。
またキリルが作ったグラゴル文字は後に発展してキリル文字となった。
この二人がキリスト教を広めるために文字を考案し、スラヴ社会に文字という文明をもたらし、 早くも10世紀後半にはキリスト教正教がキエフ大公国の国教となった。
丘の上からの北東方面の景色。
赤い屋根に白い壁。
北欧らしいデザインだ。
鷹の巣展望台・キリルとメフォディの像