台北市 二二八和平公園
台北市中正区 MRTレッドライン台大医院駅1番4番出口に隣接し、中華民国総統府にほど近く「国立台湾博物館」を抱える二二八和平公園。第二次世界大戦で日本が敗戦し約50年の日本統治が続いた台湾が中華民国に返還された後、元々台湾に住んでいた本省人と、統治者となった大陸からの外省人との間に起きた長く悲惨な軋轢の歴史を祈念した公園。1947年2月27日にタバコを販売していた女性に対する官憲の暴行事件をきっかけに勃発した二・二八事件という「抗議デモ及び闘争」は一旦統治層による鎮圧を経て38年後の1987年まで継続する戒厳令へと続く。台湾に言論の自由が法的に認められたのはなんと1992年の事だ。…今の台湾からは想像もできない歴史が日本のバブル崩壊後まで続いていたというのはかなりショッキングな話だ。[参照] Wikipedia。
二二八和平紀念碑。
二二八和平公園記。
二二八和平公園自体はそこまで広い公園ではないが、みどころは結構あるようだね。
台北二二八紀念館。
追思廊(Zhuīsī láng)。
二・二八事件の発端やその後の解説や、この事件による死亡者の名簿などが記されている。
前面や床に貼られているのは二・二八事件関連の物ではなく、現在の香港を応援するメッセージ。
「光復香港時代革命 五大訴求缺一不可」
香港時代を復興する革命、五大要求の一つも欠かす事はならない。
と言ったようなメッセージを香港の有志に送っている。
…台湾も闘争の歴史と長い戒厳令の時代を経て言論の自由を勝ち取っているので今の香港市民の心境がよく理解できるのだろう。
二・二八事件を発端とする長年にわたる騒乱の時期、台湾各地で発生した一連の事件を記している。
当時の新聞の記事などを使っているので当時の様子がうかがい知れる。
奥の壁の白い部分に書かれているのが一連の事件による死者の名簿。
真ん中に見えるのが翠亨閣(cuì hēng gé)。
そういえばこういった建築物ってどういう意味があるんだろうと思って調べると、
中国の古典的な「亭台閣楼(略:亭閣)」と呼ばれる園林建築物は五つの建物で構成され、
中央は孫文を祈念した「翠亨閣」,
そしてそれを囲む4つの楼は
鄭成功の「大木亭」、 …17世紀の中国明代の軍人、政治家。
劉銘傳の「大潛亭」、 …19世紀の中国清末の軍人・
丘逢甲の「滄海亭」、 …19世紀の台湾の詩人、教育家。
連橫の「劍花亭」 …20世紀の台湾の歴史家、政治家。
となっています。
[参照] 大紀元「台北二二八和平紀念公園巡禮」
なるほど、みんな台湾にまつわる偉人達か…。
二二八和平公園に住む野生のリス。かなりな数生息してます。
杏壇。…孔子像。
孔子が弟子に杏の木の下で教えたといわれる事にちなんでいる。
黄氏節孝坊。
16歳で富豪の王家霖に嫁ぎ28歳で夫を失ったあとずっと貞節を守り続けた黄氏を讃えて1882年に息子の黄天錫により建てられた「節孝坊」。
※節孝坊…貞節を守った人を讃えた牌坊。
…ん?それってこんなすごい坊を建てるほど凄いこと?
と思いますが、「節孝坊」自体は台湾中あちこちにあり、ある程度成功した息子が母を讃え、碑を建てる風習があるわけです。「節孝坊」を建てる為の助成金も出ていたそうです。
二二八和平公園内にある国立台湾博物館。
台湾の歴史や自然、民族などをテーマとした博物館。
台湾 台北市 中華民国総統府
二二八和平公園の西側に出ると…。中華民国総統府。
明日、1月1日の早朝7:00にパレードがあり、大勢の人が集まるそう。