トルコ 世界遺産 カッパドキア
トルコ アナトリア高原中央部にある「カッパドキア」。奇岩は地元で「ペリバジャ(妖精の煙突)」と呼ばれ、標高1,000メートルを超えるアナトリア高原の火山活動によってできたとされ、約100平方kmという広大な地域に岩石地帯が広がっている。「カッパドキア」とはペルシャ語で「美しい馬の地」を意味する。1985年「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」としてUNESCOの世界遺産登録に登録された。
洗濯してるみたい…。
か、観光向けだよね…。それともリアルな生活??
カッパドキアでの思いがけない再会
マジ!
彼女もトルコに渡ってたんだ…。
イタリアのブリンディジからのフェリーで出会い ギリシャ(Greece)のパトラ(Patra)で別行動を取った単独旅行者4人。
ギリシャ西部のパトラを起点としたら、エーゲ海を渡るという選択肢だけではなく ユーゴスラビア(yugoslavia)、ブルガリア(Bulgaria)、トルコ(Turkey)。
戻る選択肢もあるとしてイタリア(Italy)、イズミール(Izmir)経由なら エジプト(Egypt)のアレクサンドリア(Alexandria)に入る選択肢もある中で、 トルコのど真ん中、カッパドキアであの時別れた4人がたまたま 再合流した。つまり…
…チギー(chiggie)と再会した。
地図を見てもザックリ900km離れた場所で。
たぶん1日ずれていても再会はなかっただろう。
この辺り一帯が「ギョレメ国立公園」で本当に広い範囲に奇岩がみられる。
キノコが生えているように見える。
他にもイメージの強い円錐型をはじめ、尖頭型、円柱型、着帽型など ユニークな形をした奇岩がみられる。
ペリバジャ(妖精の煙突)内部
ガイドを頼んで奇岩ペリバジャ(妖精の煙突)の中にも入る事ができる。
室内には先史時代に住んでいた人たちの壁画が描かれていたり、地下にも町があり「岩窟教会」と呼ばれるフレスコ画の描かれたキリスト教の教会や「洞窟ホテル」もあった。
ペリバジャの外に出てみると結構な高さのところに出た。
下の小さなペリバジャの何倍もの高さだ。
チギーの国籍
間抜けな話だが、ここでチギー(Chiggie)が日本人である事が判明。
ありえないほど間抜けな話だが、 お互い会った時の自己紹介が
チギー「Where do you come from?(どっから来たの)」
僕「I came from London. To explain the details, Starting from Australia, then flyed to Hong Kong, London and Europe.(ロンドンからきた。細かく言うとオーストラリアから始まって香港に飛んでロンドン、ヨーロッパ。)」
チギー「Oh, ya, I came from France.(フランス)…云々云々。」
…まあ、ザックリ言えばこんな感じ。
イギリスもフランスも人種の坩堝(るつぼ)なのでアジア系国民がいてもおかしく感じない。
初めに出てきた国名でお互いの出身地だと思ってしまった。
あとお互い様だが、外国人の中にいて、こんなにお喋りな日本人は見た事がない。
大体の日本人は返事をしたら会話終了。
やたらと会話を拡げる日本人は見た事がなかった。
もっと言えば「英語が流暢」だし日本人独特のジャングリッシュ感がない。
僕もやたらお喋りだしオーストラリア訛りがあるようで…。
まあ、僕からすればチギーはエスニックな顔立ちに見えるので フィリピン系フランス二世とかに見えるし、 チギーからすれば僕は中国系のモンゴリアンに見えたのだろう。
ここまでさっぱり日本人に会っていないので日本人はいないという先入観もあったのかもしれない。
もっと言えばゴードンとタイデスがチギーと話しているケースが多く、僕はあまりチギーとは話をしなかった。
まあ20歳の少年。シャイというか女の人と話すのが恥ずかしい というのがあって避けていたのかもしれない。
しかし、お互いが日本人と分った後も僕たちは基本英語で会話した。
ゴードンとタイデスに対して隠語になってしまうのが嫌だった。
トルコ カッパドキアからイランへ
…さて、これから先、僕は行動を選択しなければならない。
東のイラン方面に行くか、折角チギーにも会ったんだし一旦はみんなとアンカラ、イスタンブールに行くか…。
やはり東。
イランルートにチャレンジしてみるのだが…。
カッパドキアで彼ら3人と別れ、単身トルコ東部の街、ドゥバヤズィット(Dogubayazit)に向かう。 ここでイラン行きのバスに乗りトルコ国境の街ギュルブラク(Gurbulak)から出国、イラン国境の街バーザルガーン(Bazargan)でイランに入国しひとまずマークー(Maku) まで行く…。
というのがプランだったが、トルコ・ドゥバヤズィットのバスターミナルでイラン・マークー行きのバスに乗り込んでギュルブラクまで移動したところで…。
太陽が燦燦と照りつける中、クーラーも効かないバスで1時間近く待たされた。 日本と違ってどの国の交通機関も割と時間にルーズなので 「遅っそいな~。」くらいの感覚だったのだがこれはちょっと長い。
外に出て風に涼みながら煙草を吸ったり、 急に出発しておいていかれても嫌だから席に戻ったり…。
…そうこうしていたら一人の男がバスに乗り込んできて何やら説明している。 乗客が騒ぎだし何度かやり取りをした後、バスは元来た道を走り出した。
ほとんどの乗客がアラビア人で観光客など乗っていなかったのでちゃんとした詳細はわからないが…。
ハテナマークを浮かべている僕に数人のアラビアンが片言の英語で説明してくれたのをまとめると、イラン側の事情で入国できない状況になりバスはドゥバヤズィットまで引き返す事になったようだ。 紛争が起きたのかなんなのか何にしろ「ドンパチ」的な事が起きたようだ。
「明日ならイランに入れるのか」 とか「イランに入れるようになるのにどのくらいかかるのか」とか 聞いてみたが「分らない」という言葉しか返ってこない。
…当然だ。
彼らも何かしら目的があってイランに入りたいのに入れないのは僕と同じなのだ。
ドゥバヤズィットまで引き返えすバスの中でイランに入れないとしたら どうすべきか考えた。いくらトルコの物価が安いとはいえ、いつ入れるかわからないイラン入りに固執するより他の行動を考えた方がいい気もする。
「…やっぱりゴードンたちと合流しよう。」
一人が寂しいという訳でもなかったが、彼らといるワクワク感の方が勝り、 僕はイスタンブールに向かう事に決めた。