那覇 – カフーナ旭橋A街区

那覇-カフーナ旭橋A街区

那覇市カフーナ旭橋A街区

那覇市-カフーナ旭橋A街区。葛飾北斎の琉球八景にも描かれた泉崎の隣に位置する「旭町」は元々は明治時代末頃から大正初期に造成された埋め立て地で、1914年(大正3年)、この地に沖縄県軽便鉄道のターミナル「那覇停車場」が建てられると駅前一帯は交通の要衝として発展した。しかし第二次世界大戦の沖縄戦で一気に廃墟と化し、戦後、那覇停車場跡に那覇バスターミナルが設置され街は再生していく。それから約60年が経った2007年「モノレール旭橋駅周辺地区市街地再開発事業」が立ち上がりさすがに古めかしくなったバスターミナルを中心に旭町が再開発されることになった。再開発されたこの地区を「カフーナ旭橋」と呼ぶ。


 

カフーナ旭橋

58号線を北上中、旭橋交差点を右に曲がるとカフーナ旭橋はすぐそこにある。

 

カフーナ旭橋

(出展:カフーナ旭橋

カフーナとは沖縄の方言で「幸せ」を意味する言葉で、「カフーナ旭橋」ってA街区とかE街区とか、北区とか言うけど、いったいなんなの? って話になると上の地図を見た方が早く、「カフーナ旭橋」は那覇バスターミナルのある旭町地区の都市再開発の名称。

 

カフーナ旭橋

狭い駐車場をぐるぐる回りながら上に登り駐車場の空きスペースに車を停める。

 

カフーナ旭橋

エレベーターで3階まで降り、外通路を通って建物の中に入る。

 

カフーナ旭橋

3階建物の中に入るとすぐ県立図書館があり、図書館を過ぎて、

 

カフーナ旭橋

3回商業施設のエリア。

那覇OPA3階となる。

2013年に国際通りと沖映通りが交わるむつみ橋での営業を終えた「那覇OPA」が、このカフーナ旭橋A街区で復活し、2階と3階フロアでGMS事業を再開した。

2021/02時点で那覇OPA3階にはダイソーとソフトバンク+Yモバイルが入居している。

写真はフリースペースなんだけど、小学生も含めた学生さん達が勉強していた。

おっしゃれ~。

 

カフーナ旭橋

ダイソーでのちょっとした買い物を終えて、2階フロアにエスカレーターで降りる。

 

カフーナ旭橋

那覇OPA2階。

 

カフーナ旭橋

那覇OPA2階フロアは40店舗近いキャパがあるようなんだけど、2019/08時点で9店舗の大量撤退などあまりよくないニュースも流れてた。

沖縄でもてんぶす那覇、さいおんスクエア、アクロスプラザ古島、サンエー浦添西海岸 PARCO CITYなど新しい商業施設はどんどんできるんだけど、あんまり景気のいいニュースを聞かないな…。

集客が悪いとか家賃値下げ交渉とかあちらこちらでやっているニュースが流れていた時にコロナ発生だったからGMSはどこも大変なんだろう…。

 

カフーナ旭橋

那覇OPA2階の隣は「沖縄観光情報センター」。

 

カフーナ旭橋

2階フロアから外に出ると、ゆいレール旭橋駅に連結する通路がある。

 

カフーナ旭橋

おっ、周辺道路もきれいにしたんだね。

 

沖縄軽便 那覇駅跡

ナハエキアト

バスターミナルビルと旭橋駅の渡り通路の下側に「那覇駅跡(ナハエキアト)」の史跡。

 

ナハエキアト

沖縄における軽便(けいべん)鉄道各路線の起点となった那覇駅跡。

 1914年(大正3)12月1日に、那覇と与那原(よなばる)を結ぶ与那原線(全長約9.8km)の操業が開始され、その後、1922年(大正11)に那覇~嘉手(納かでな)線(約23.6km)、1923年(大正12)に那覇~糸満(いとまん)線(約18.3km)が開業した。那覇港への引き込み線(約0.7km)も敷かれ、貨物専用として使用された。沖縄の軽便鉄道は、人々から「ケービン」の愛称で親しまれた。

 那覇駅は、与那原線開業時に整備され、路線増加とともに拡充された。赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、隣接して鉄道管理所や交番が置かれた。構内には転車台・機関庫・石炭置き場などがあった。

 車両は、蒸気機関車12両、ガソリン動車6両、客車52両、貨車51両あったといい、1930年(昭和5)に始めて導入されたガソリン動車では、快速運転も行われ、乗客から人気があったという。那覇からは、それぞれ30分(与那原)、60分(嘉手納)、50分(糸満)程で結ばれていた。普段は3両編成であったが、キビの収穫時期や盆・正月、波上祭の時期には5 ~ 8両編成になったという。

 那覇駅は、1944年(昭和19)10月10日の空襲により甚大な被害を受けたが、1 ヵ月後には、運行が再開され、沖縄守備隊の兵站輸送や、住民の本島北部への疎開に利用された。しかし、翌年の3月下旬には、米軍の攻撃により破壊され、運休となった。

 終戦後の1947年(昭和22)には鉄道復興の計画もあったが、幹線道路の整備が優先された。さらに1950年(昭和25)の朝鮮(ちょうせん)戦争勃発による鋼材不足のため、スクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。

 

ナハエキアト

沖縄には鉄道がない。しかもバスが時間通りに来ず、公共交通が発達してないから車社会になったとか言われてきたけど、戦前にはちゃんと有効に機能した鉄道があったんだね…。

ゆいレール(モノレール)はできたけど、生活圏になく利用できないから実感ないし、家の近くのバス停も一日3本しかバスが通らないので利用できない。

車生活でまったく困っていないんだけど、沖縄でも公共交通機関が発達したらみんなの暮らしも変わるんだろうね。

 

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那覇-カフーナ旭橋A街区(沖縄)