那覇泊 崇元寺跡
王廟「崇元寺」は元々臨済宗の寺院で山号を霊徳山といった。初代琉球国王とされている「舜天(しゅんてん:1166年~1237年)」から第二尚氏王統第19代で琉球最後の国王「尚泰(しょうたい:1843年~1901年)」まで、国王の神位(祈願奉斎のために、神社に奉る位階)を安置した琉球王国の国廟。沖縄が日本に返還された1972年5月15日同日に国指定建造物に指定されている。
崇元寺の創建年代について、詳しいことはわかっていないようで、1713年に編纂された琉球国由来記(全21巻)には
「宗廟および丈室の立、何代何年をあきらかたるを知らず」
と記される。
崇元寺って、正門からも出入り自由だし、側道側からも入れちゃう。
国史跡指定を目指しているのに、もうちょっと保護した方がいいのでは?
…と思っちゃう。
誰かが落書きとかしたら困るでしょ…。
石門をくぐると冷厳な雰囲気が漂う。
泊 崇元寺石門、正しくは「旧崇元寺第一門及び石牆(せきしょう)」と呼ばれ、周囲を囲む石垣を含めてそう呼ばれる。
琉球王国時代の代表的な石造建築の一つとされる。
崇元寺前堂(第二門)跡。
第二門跡の巨大なガジュマルの樹。
メチャ立派じゃん…。
2023年5月に完成したばかりの、
左側にあるのが「崇元寺遺構ジオラマ」、
右側の四角い石が「崇元寺伽藍配置模型」。
2020年に実施した7地点の遺構調査から、
・正廟(せいびょう)と
・庫裏(くり)…寺院の住居部分
をつなぐ階段や通路が確認され、それらの調査をもとに遺構を再現したもの。
戦前まで実際にここの庫裏に住んでいた「上江洲隆」さんもこの以降の際現に協力していて、那覇市は崇元寺跡の国史跡指定を目指して活動している。
敷地内は、今は広々とした空き地になっている。
側道側「崇元寺御嶽」のガジュマルの樹。
公衆トイレが設置されていて、完全なる公園。
ガジュマルだらけだな…。
「崇元寺御嶽」。
那覇市はガイダンス施設なども設置して、2024年度以降の早い時期に国史跡として指定を受けられるよう取り組んでいるらしいんだけど、2023年10月の時点でこの感じだと、民間所有地の取得などが計画通りに進んでないのかもしれないね。
早めに崇元寺が立派な施設になる事を祈る。
参考文献;那覇市教育委員会「那覇市の文化財」。