免税店オパール・スペクトラム
ゴールドコースト、サーファーズ・パラダイスのオーキッド・アベニューの南端、カビル・アベニューにあった免税店オパール・スペクトラム(Opal Spectrum)。 1階がオパールやサファイアなどの宝石類を取り扱うスペースで、2階がシープスキンや カンガルー製品、お酒、たばこなどのお土産品を扱うスペースだった。 スタッフは日本人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人と移民や外国人がほとんどのお店だった。
日本人女性スタッフとツアーガイドさん。
日本人のハネムーナーの来店が多く、 彼女たちが対応をし、僕たちがパッキングやセンディングなどを行なっていた。
後ろのコアラのぬいぐるみ… すごくない。
貴金属の事も結構覚えた。
特にオパールは接客の中で必要な知識なので詳しくなった。 オーストラリアとメキシコでは同じオパールでも色や加工方法が違うとか…。
お客様の前ではプロですものね…。
ツアーガイドや添乗員の皆さんとも仲良くなって…。
陽気なサーファーズという事もあり、旅先の仕事…つまり永久就職ではないという事もあり、 一緒にコンラッド(カジノ)にいったり、飲みに行ったり、変な駆け引きもなくフランクに付き合わせてもらった。
…ま、お友達感覚ね。
年上の豪気な武道家二人とつるんで
武道家コンビ。
ショップの中ではいわゆるマネージャー。
髭のMasaさんがボスで僕の先輩で、兄貴の親友で、陽気で面倒見のいい兄貴といった感じ。
結局僕はVisaの期限が切れるまでこの店で働き、この先輩たちと陽気なサーファーズ・ライフを楽しんだ。
全く関係ないがこの頃の僕の昼食は、ほとんど毎日と言っていいほど2ドル60セントの ケンタッキーのランチパック。
日本では高いと感じていたケンタッキーのチキンがセットで220円で食べられるので、 さもしくも食える時に喰っとけ~って感じだった。
たまにフードコートで知り合いの店のチャーハンや、カフェでバーガーなどを食べたりもしたが、 2日と続かずまたケンタに戻って行った。
日替わりでサーファーズ中のホテル・バーに通ったり、ホテルのプールに入ったり、 カジノにはまってみたり、友人宅でパーティをしたりと、 毎晩遅くまで遊びまわっていた。
後日談だが、Masaさんは長年の夢だったパイロットの資格を取るため オーストラリアに残りクーランガッタのパイロット・スクールに通った。
Hiroshiさんはオーストラリアの免税業界に残り永住権を得てオーストラリアに正式に移住した。
オーストラリア出国
Visaの期限が迫ってきて、この後どうしようか考えていた。 こればかりは誰に相談するというより、自分自身がどうしたいかの問題だし、
「このまま日本に帰らず旅を続けたい…。」
というのははっきりしていたが、具体的な方法論が20歳の経験値では答えが出せずにいた。
そんなある日エルクホーンアベニュー(Elkhorn Ave)に旅行会社の看板を見つけ、 ふらっとのぞいてみた。
そこで発見したのは、
「ブリスベンー香港ー日本ーイギリスーアムステルダムーアラスカー日本ー香港-ブリスベン」 の1年オープンのエアチケット。
わずか900ドル(約77,000円)で購入が可能だった。
しかも8フライト全て別々のチケットで、航空会社まで違うので全ての国や地域に滞在できる。
トランジットではないタイプだ。
日本からオーストラリアに来たときは往復で航空券が16万円だったことを考えると激安だ。
一日考えて翌日にはそのチケットを購入した。
と同時にそれまで大切に保管していた日本へのリターンチケットはゴミ箱行きになった。
暑い夏が終わる3月頃、Visa切れギリギリまでオーストラリア・ライフを楽しんで香港に向け出国した。