那覇 琉球八社 識名宮
琉球王府より「神職の役俸」と「社殿の営繕費」の加護を受けた琉球八社のひとつ「識名宮」。併置した別当寺は「神応寺」。第二尚氏王統第5代尚元王の長男の病気回復に霊験た事で神応寺と共に隣接して創建されている(遺老説伝)。識名宮も神応寺も第二次世界大戦の沖縄戦で戦災に遇い焼失してしまったが、識名宮だけ再建され神応寺は跡地だけが残っている。琉球処分(廃藩置県)後、明治政府より無格社とされた。
金城町石畳道を降り切った後、金城橋を渡ると見上げるような坂道。
この坂道を延々と上る。
一旦二股道になるがそこは左に直進する。
最後は大通りにぶつかり道が途絶えるが、その20mほど手前の左側に識名宮の駐車場がある。
「識名宮駐車場」のサインボードがあったらもっと親切なんだけどね。
割と広い駐車場があり、右手に見えているのが識名宮。
駐車場右奥に境内への入り口のサインボード。
でもこのサインボードの前にも車を駐車できるので、車が止まっていたらこのサインボードは見えなくなる。
駐車場から境内に入った右手に「お手洗い」。
琉球八社 識名宮 参道
一旦社務所を通って外に出ると大通りに面して「一ノ鳥居」。
拝殿に向かって参道を通って、
左手が「社務所」。
右手に「おみくじ掛け」と「手水舎(ちょうずや)」。
あれ、識名宮の手水舎は使用禁止になってないみたい。
ちなみにこの「手水舎」。実は読み方がたくさんあって、全国8万の神社を包括する神社本庁は「てみずや」としているんだけど「ちょうずや」「ちょうずしゃ」「てみずしゃ」と呼ぶところもあり、また漢字が変わって「水盤舎(すいばんしゃ)」や「御水屋(おみずや)」とするところもあるらしい。
手水舎の奥に「絵馬掛所(えまかけどころ)」。
琉球石灰岩の壁が立派な「二ノ鳥居」。
参道を進むと境内に「拝殿」。
境内の右手に「識名宮復興記念碑」。
拝殿の右手に「古札受所」。
琉球八社 識名宮 本殿
お賽銭を入れて姿勢を正し「二礼二拍手一礼」で参拝をする。
天気がいいとめっちゃ明るい。
拝殿内右手。
拝殿内左手。
拝所から境内、参道の向こうの大通りまで一直線に見える。
拝殿の左側の通路を通って拝殿の後ろへ。
この洞穴がこの神社の由来で、昔この辺りは荒れ地だったが、ここから天の星に届くほどの光が発せられていて、それを近くの村の大阿母という人妻が見に来たら、この洞穴に一体の「賓頭盧(方言:ビジュル):お釈迦様の弟子の一人」が安置されていて、大阿母はきっとこのビジュルの霊光が光の元だと思い拝んでいたら大阿母の身にいい事が起こり、すると周りの者もこの洞穴のビジュルを信仰しはじめた。
その頃、尚元王の長男(王子)が病気を患っていて、それを知った大阿母がこのビジュルの事を献言したところ王子はすぐにこの洞穴に来て病気平癒の祈願をしたところ日に日に元気になったので、王子は私財を奉納してお宮とお寺を創建し、その傍に家を建て大阿母を住まわせお宮を守らせた。
その後、王府(寺社座)の計らいで官社に昇格し「琉球八社」にまでなった。
…といったお話。
コンパクトで清潔感があり、社務所の赤が映える綺麗な神社。