沖縄浦添-玉城朝薫の墓-世界を旅するフォトエッセイ(旅行ブログ)

浦添グスク・ウォーキングツアー

以前からお誘いを受けていた沖縄県内の史跡巡りツアーがあり、これまではいろいろ用事があり都合が付かず参加できないでいたが、今回はなんとか都合がついたので参加してみる事にした。

僕自身以前、沖縄の歴史を仕事でまとめた事があったし琉球史は好きな方だ。

折角の旅気分なんだから集合場所まで車で行くのも味気ないという事で公共の路線バスで移動する事にした。

 

バスなび沖縄」という沖縄本島路線バス総合案内システムを使って、9:30までにモノレール経塚駅に着けるバスを調べると、安謝橋バス停で08:57に

沖縄バス47番てだこ線(沖縄療育園前行)

のバスに乗ればわずか11分で着くようだ。

 

沖縄の路線バスって時間がルーズって昔はよく耳にしたが、このバスはおおむね時間通り出発した。

コロナの影響なのか土曜日の朝だからなのかこの時の乗客は僕を含めて3人だけだった。

 

初めて乗る路線なので運行案内板を気にしながら外の景色を見て過ごす。

 

バスの運転手さんに経塚駅のある方向を聞いて「国際センター入口バス停」で下車。

 

経塚は今まで数回しか来たことなかったけど、この辺りは経塚でも外れにあたるのか本当に何もない感じ。

集合場所のモノレール経塚駅の下でツアー内容の説明や注意事項、講師の紹介などを受けて10:00にウォーキングツアーはスタートした。

今回の旅の講師は地元では琉球史の専門家として有名な「賀数仁然(かかずひとさ)先生」。

…ただのツアーガイドじゃなく専門家をガイドにしちゃうなんて…。結構ぜいたくじゃん。

 

玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓

経塚駅から5分ほど歩くと「玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓」に到着。

 

玉城朝薫(1684~1734)は琉球王国時代の政府官僚で「組踊」の創始者。

1718年、踊奉行に任命され、中国からの冊封使をもてなすために「組踊」を生み出し、翌年1719年の「重陽の宴」で初めて組踊の作品を披露、上演した。

 

※「重陽の宴」とは:
中国では奇数日は縁起が良い「陽」の日とされ、特に奇数が重なる日は良いとされました。1月1日は春節、3月3日は上巳の節句(桃の節句)、5月5日は端午の節句、7月7日は七夕の節句(笹の節句)といった具合に日本でもお馴染みです。9月9日はなぜか今ではあまり知られていませんが、重陽の節句(菊の節句)と言います。「重陽の宴」とは菊酒を飲んだりして菊の薬効で健康長寿を祝う宴の事です。

 

組踊は元々あった「琉球芸能」に日本の能楽や狂言、中国の京劇などの要素を取り入れ創作された舞台劇で2010年にユネスコ無形文化遺産リストにも登録されている沖縄の郷土芸能。

朝薫は役人時代、いわゆる外交官のような仕事をしていて、江戸や薩摩を行き来していた事から能楽や狂言に触れる機会があったようだ。

ちなみに朝薫が創作した組踊は朝薫の五番と呼ばれるそうで、

執心鐘入(しゅうしんかねいり)
銘苅子(めかるしぃ)
孝行之巻(こうこうのまき)
女物狂(おんなものぐるい)
二童敵討(にどうてきうち)

の5番との事。ただ、この5番のインパクトが大きすぎて、朝薫の後を引き継いだ踊奉行はみんな苦しむ羽目になったそう。

 

僕自身は組踊はテレビでちょこっと見た事があるくらいで、ちゃんと見た事はないが、添市勢理客に「国立劇場おきなわ」という立派な劇場が「組踊公園」と共にあり、沖縄で大切にされているのはよくわかる。

 

ちなみに玉城朝薫の子孫は「邊士名」という姓になっているそうで、我々が知っているその子孫の一人とは、DA PUMPのボーカル、ISSA(本名:邊土名 一茶)なんだって。

芸能の血が流れてるんだね~。

 




   
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